「無鹿リゾート」は、おいしい鹿肉が食べられるレストランに、1日2組限定の宿を併設しています。2010年(平成22)に鹿肉料理専門店「無鹿」として柏原町に開業、2018年(平成30)春日町に築120年以上の古民家を改修して宿も併設し、「無鹿リゾート」として移転オープンしました。いまや鹿肉、ジビエといえば、その栄養価やおいしさに魅了される人も多く、各種メディアでも取り上げられる存在ですが、無鹿リゾートのオーナーシェフ、鴻谷佳彦さんが鹿肉と出会った20年ほど前は、まだ知る人ぞ知る食材でした。鹿肉の価値を上げるべく模索しつづけ、現在の安定した状態になるまで、そしてこれからのお話をうかがいました。
人生を変えた鹿肉との出会い
丹波市出身の鴻谷さんは、高校卒業後、青垣町で仕出し弁当店「葉山」を経営していた父の勧めもあって、料理人の道を選ぶことに。兵庫県西宮市の料亭で5年間修業した後、丹波にUターン。父の店を継ぎながら、近くの宿泊施設の指定管理者となりました。その宿には、兵庫県立森林動物研究センターの職員や野生動物の研究をする大学教授が全国から集まり、よく利用していたことがきっかけで、鴻谷さんは「鹿肉」のおいしさを知ることになります。
兵庫県立森林動物研究センターは、野生生物と人間の共生を目指して2007年(平成19)丹波市に設立されました。獣害を防いだり、有効活用を考えるなどの施策に取り組んでいます。鴻谷さんはセンター職員からすすめられた鹿肉に感動し、以来、おいしい鹿肉をもっと広めようと研究を進めました。その一環として、家庭向けに鹿肉料理の1000レシピを考案。しかし、鹿肉は牛肉や豚肉などに比べると、一般家庭に普及するほど頭数が十分ではないことを知ります。鴻谷さんによると、戦後、乱獲のせいで壊滅状態になった鹿は、やがて捕獲禁止や頭数制限が設けられました。そうすると逆に繁殖しすぎて、平成初めごろから農作物や環境、人間にも被害が及ぶようになります。そして様々な対策や研究が進み、いまでは頭数の把握や維持ができるようになってきたそうです。とはいえ、鹿肉を含めたジビエ肉は、飼育する家畜ではないので安定供給が難しく、仮に一般家庭に普及すると、絶滅してしまう恐れもある貴重な肉です。さらに、鹿肉は特に筋肉質で食べられる部分がとても少ないという点も価格に反映され、普及の難しい高級食材になっています。
鴻谷さんは、1000ものレシピを考えましたが公開を断念(その後、厳選した100レシピをブラッシュアップし、現在クックパッドに掲載中)。一方、自分の経営する仕出し弁当店や旅館で鹿肉料理を提供する中で、おいしいから専門店を出してほしいという声をいただくことが増え、古民家を再生して2010年に日本ではじめて鹿肉料理専門のレストランを開業しました。
オープン当初、獣害問題が注目されていたこともあって、テレビ取材が入ることも多く、レストランとしては、よいスタートダッシュを切ることができました。一方で、どうしても獣害問題ありきで取り上げられたり、怖いもの見たさで来店する人も多く、鹿肉料理=おいしい、という文化ができあがるまでには時間がかかったと言います。
2016年(平成28)頃にジビエブームがあり、鴻谷さんの店も活況を見せました。しかし、人気店になるにつれ、悩みごとも増えていったと言います。「テレビで取り上げられると、短期間に一気にお客さんが増えるんです。ありがたいことではあるのですが、忙しくなりすぎて、サービスが手薄になってしまったり、常連のお客様が来店しにくくなってしまったり……。また、駅に近かったこともあって専用駐車場を設けていなかったので、違法駐車などで近所の方に迷惑をかけることがたびたび出てきてしまったり……。さらには、電車の時間に間に合うように料理を提供してほしいと要望され、急いで召し上がって帰られる方が少なくなく…・…。鹿肉のおいしさを十分に味わっていただけていないのではないかと、悩みました」。そこで、もう少しゆったりした場所に移ろうと考えていた頃、ご縁があって、春日町の古民家に移転、宿泊施設も併設しました。鴻谷さんの鹿肉料理をわざわざ食べるために訪れてくれるお客様やリピーターが増え、ゆっくりとした時間を過ごしていただいたり、それに見合うサービスの提供もでき、安定した経営が実現できているそうです。
料理が昇華したフレンチの師匠との出会い
鴻谷さんの提供する鹿肉料理は、和風フレンチ。和食は料亭仕込みの得意分野でしたが、フレンチの経験はありませんでしたので、オリジナルで挑みました。そんなある日、面識のあった神戸の有名老舗フレンチのシェフが来店され、「これではだめだ」と、料理にダメ出しをされてしまったのです。「余計なものをそぎ落として、もっとシンプルにする方が、きみの料理は際立つはずだ」と助言をもらい、さらにはそのフレンチ店で二日間みっちりと修業の機会を得ました。鴻谷さんは、「この方との出会いがなければ、今のこの店はないと言っても過言ではありません。恩師です」と、思いを馳せます。
鹿肉は丹波や但馬産のものを使用。夏から秋にかけてが、もっともみずみずしく一番おいしい状態になります。鹿肉自体はあっさりした味わいなので、濃いソースに漬け込むなどはせず、鹿肉のおいしさを生かす調理をしています。付け合わせには、自身で育てる有機野菜や地元の野菜を使い、野菜ソムリエの資格を生かして、それぞれの食材のよさを引き出すように心掛けます。
鹿は野生動物なのでおいしさに個体差があるそうです。肉質を見極めながら、個体ごとに切り方も焼き具合も変える必要があります。「そういう意味でも、料理するのがとても難しい食材です。一時期、スタッフに任せて店舗を増やそうと思ったこともあったのですが、そう簡単に身に付くものではありませんでした。やはり調理は私がやらないとだめだなと。私自身いまだにうまくいかないこともあります」と、鴻谷さん。休みの日には、丹波や神戸の高校で農業経営や六次産業化など教えるべく教鞭に立つという多忙ぶりですが、料理に手を休めることはありません。
ジビエは、自然の恵みであることを忘れない
築120年の古民家は、農機具庫や蔵もある農家の住まいだったそう。母屋はレストランに、2つの蔵は宿に改修しました。昔から古いものに興味があるという鴻谷さんは、建物の柱は残し、新たに使う素材はムクノキなど自然なものを取り入れ、金物はなるべく使わないように、使用しても見えないようにと、大工に依頼しました。テーブルは近くの木工職人に特注し、椅子はイギリスのアンティークもの、電球は作家のてづくり品を採用するなど、随所にこだわりの見られる、とても温かい雰囲気の漂う空間です。
今後は、レストランの周辺に泊まれる古民家の宿を増やし、地域を豊かにしていきたいという思いがあります。「ここに移転する前からずっと考えていたことではあるのですが、コロナ明けから空前の移住ブームで、この辺りも空き屋がほとんどないんです」と、今は機を見ています。
ジビエは自然の恵みであり、それを獲るものも、料理するものも、稀有な存在である、そんなことを知った今回の取材。ジビエはおいしい&栄養価が高いだけではない側面を知って食べることこそが、もしかしたら野生動物と人間との共生が叶う一番の近道なのかもしれません。
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