父の味と心をつむぐ、母娘三人で守り続ける漬物

佐々木徳蔵商店

丹波の道の駅オープンにも尽力した佐々木徳蔵さんが、1967年(昭和42)頃に創業した漬物屋さん。とにかく、人が好きで商売が好きで、「感謝の気持ち、まごころを忘れたらあかん」と、儲けよりも人情に生きた人でした。2013年(平成25)に永い旅へ出てからは、母娘三人でその味と思いを受け継いでいます。「いまも毎日父を感じながらの生活です」。固定客も多い徳蔵さんの漬物は、家族の固い絆で今も看板を守り続けています。

手間暇かかる、丁寧な手仕事のお漬物

漬物はすべて、無添加の手づくり。丹波産の野菜を中心に、季節ごとに旬のいい野菜が手に入ったら、その分だけを漬物にします。材料は塩と酢などシンプルな調味料のみですが、機械に頼らず、一つひとつ手で仕込むので、できあがるまでには手間と時間がとてもかかります。

例えば、ぬか漬けは、塩漬けする「荒漬け」で2~4週間ほど、その後、ぬかをまぶしてからぬか床へ。このぬかも、丹波産の米ぬかをざるで振って細かいものだけを炒ってから使います。野菜によって1週間~1カ月ほど本漬けして、ようやく完成です。

仕上げには、徳蔵さんの妻・妙子さんの“塩梅チェック”が欠かせません。「漬物づくりは、長年の勘が大切です。最終判断は母にしかできないんです。わたしはまだまだ、修業中で…」と、次女の婦木美和さんは謙遜します。

季節ごとに売り切れ御免、見つけたらマストバイ

徳蔵さんが病に倒れてからは、商売を続けるかどうか、悩んだといいます。しかし、病床から「売り場の写真を撮ってきてみせろ」と、最後まで商売のことを気にしていた徳蔵さんの思いを継ぐことが一番だと、「父の言葉を胸に細々と三人で奮起することにしました」と、長女の松浦久美子さん。

昔は従業員も数名いて、複数の小売店に卸したり、JALファーストクラスのお土産用パンフレットに掲載されたこともあり、北海道から沖縄までお得意さんがいたり、年末年始やお歳暮の時期などは大忙しでした。いまは主に道の駅・おばあちゃんの里やJA丹波ひかみとれたて野菜直売所で販売しています。シーズン最初に仕込んで、売り切ったらそれで終わり。野菜の出来不出来によっても、その年の仕込みは左右します。

たくさんつくってどんどん売る、というのではなく、一番おいしい野菜の状態を優先したいと言います。「季節のものが一番おいしいんです。丹波特有の味、霧深いところで育つ甘みのある野菜。それをうまく生かすのが私たちのお漬物です」と、婦木美和さん。

楽しみに待っているリピーターも多いので、道の駅で見つけたらそれはとってもラッキー!1日で売り切れることもあるので、即買いがおすすめです。

50年変わらないものが、ずっとそこにある

漬物のほかには、小豆島のおいしい醤油を使った佃煮も(左から、さんしょ昆布、ちりめん山椒、山椒やまぶき、松茸昆布)。50年変わらぬ徳蔵さんレシピです。

徳蔵さんの商売に対する考え方も、50年変わらず、家族に引き継がれています。

「花には水、人には愛、商売は心」

「農家さん、お客さん、従業員、取引先…みんなのおかげで商売をさせてもらっている」

「損得優先ではなく、徳を積むことが先」

「商品を通じてまごころを感じてもらえたら、お客様は自然とついてきてくれる」

などなど、徳蔵さんは、多くの言葉や思いも残しました。

これからも、細々と続けていく、つむいでいく父の跡

これは、徳蔵さんが好きだった言葉のひとつ。“長い間商売をしていると、大変なこと、つらいこと、いろいろある。けれど、そんなときこそ信念を崩さず、ぐっと堪えて家族一丸となって乗り越えよう”という意味だそう。長女・松浦久美子さんは、「お父さんのそういった思いをひたすら守ってやってきました。不況やいろんなことを乗り越えて前向きにやってこられたのは、その気持ちがあったから」と、微笑みます。

これからも、販路をどんどん広げよう、とは思わないと言います。周囲への感謝の気持ちを忘れずに、自分たちにできることを丁寧に、一つひとつ心を込めて漬ける、ただそれだけ、と。

徳蔵さんのお話をしているお三方は、終始とても楽しそう、笑顔の絶えない取材でした。徳蔵さんの心は家族とともに、お漬物とともに、いまもそこにありました。

 

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