料亭仕込みの本格和食を全席個室で気兼ねなくいただく

旬料理 よし宗

大将の湯藤さんが「旬料理 よし宗」をはじめたのは、2000年(平成12)のこと。丹波市をはじめ、近海でとれる野菜や魚介類を使った旬のお料理は、どれもこれも素材の味が生き、思わず唸るおいしさです。

有馬温泉ほかさまざまな地で厳しい修業を経たからこその確かな味わいが、お料理一つひとつにしっかりと現れています。

旬の小粋なお料理を個室空間で

現在、よし宗があるのは柏原町母坪。柏原町柏原方面から氷上町へと抜ける175号線沿いに位置します。この地に移転してからは約5年で、最初は市島町で懐石料理のお店をオープンし、続いて氷上町市辺に2店舗目をオープン。どちらも忙しく手が回らなくなったこともあり、それぞれのお店をいったん閉め、座席数を増やして母坪で再オープンへと至りました。

カーテンでそれぞれの座席が仕切れる

リニューアルに際しては全室個室の空間に。それまではカウンターとテーブル席、いくつかの個室という一般的なお店作りでしたが、個室を希望するお客さんが多いことからすべての座席で目線を遮るカーテンを設置。プライベート空間をしっかり確保できる仕様にし、多くのお客さんにも好評です。

もちろんカウンター席で大将とお話しするのも◎

有馬温泉、佐世保、東京で修行に励む

21歳で和食の道を歩み出した大将の湯藤さん。もともと両親が春日町で「レストランゆとう」を切り盛りしていたこともあり、「和食でもやってみようかな」という軽い気持ちで踏み入れたといいます。修業先に選んだのは有馬温泉の旅館。朝5時から朝食作りに精を出し、ほとんど休む間もなく昼と夜の仕込みと営業がスタート。営業が終われば先輩に内緒で大根剥きなどをして技術を高めるという、遊ぶ時間も寝る時間もない日々が始まります。

そんな矢先、師匠である料理長に長崎・佐世保のホテルから誘いがあり、湯藤さんもついて行くことになります。そこでは朝食・夕食はもちろん、婚礼などの宴会用料理も手がけなければならず、さらに忙しさが倍増。「1日300食ほど作らなくてはならず、環境が変わったのもあって、もうめちゃくちゃしんどかったですね」と当時を振り返ります。

しばらくして、今度は東京・青山にできる新店舗へ配属。「料理長が破天荒な人でね(笑)」とここでも忙しい日々の中で技術を磨き、最後に兄弟子とともに有馬温泉へ呼び戻されて数年働き、ようやく修業終了となったのです。

「たらの白子ポン酢」(842円税込)

丹波に戻ったのはまだ20代で、1店舗目のオープン時も若干27歳の頃でしたが、厳しく叩き込まれた技術を発揮して、あれよあれよという間に人気店へ。現在まで続く“よし宗”の礎となったのです。

季節のものを丁寧に仕立てる

おいしい食材がたくさんとれる丹波の地の利を生かし、よし宗でも丹波産の作物をふんだんに使用しています。取材時はちょうど丹波黒枝豆の時期で、とれたての黒枝豆の下ごしらえ中でした。実は、この茹でるための水にも、湯藤さんのこだわりがあります。

「春日町の奥に三尾山(みつおさん)という山があって、麓の地区では蛇口をひねれば三尾山の山水が出るんです。山水を使うと、水道水よりもご飯がおいしく炊けますし、だしもクリアな香りがするんです」。

水にこだわるのはかつての師匠ゆずり。佐世保でも山水で料理を仕立てていたそうで、「当時は、仕事が終わってから汲みに行くのが大変でしたけどね」と笑います。

ホタルイカをサラダ仕立てに

メニューにないものであってもできるだけ応えてくれるのもうれしいところ。「職人魂みたいなものですかね。腕を試されている感じもして(笑)。昨日も焼うどんが食べたいと言われたのでお出ししましたし、小さいお子さんだとスパゲティが食べたいと言われることもあるので、すごく忙しくない限りはできるだけ対応するようにしています」。

日本料理のいろはを芯から叩き込まれ、本格的な味わいを追求してきた職人・湯藤さん。その誇りをしっかりと背負いながら、「低価格でお客さんによろこんでもらえたら」と、あくまで低姿勢。その人柄と確かな技術に大勢のお客さんが魅了されています。

 

<注意事項例>

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